ルーペ・フィアスコ
昔からいるラッパーで、たまに聴いていたが、きちんと聴いたのは初めて。
明るい歌もあるが、むしろセンチメンタルな、哀愁の漂うメロディーに強みがある。胸に染み渡る悲しみが心地よい。
特に気に入ったのはスカイラー・グレイと一緒に歌っているもの。彼女も哀愁の漂うメロディーを得意としており、このマッチングはとても良いケミストリーを生んでいる。
これからもフォローしていきたい。
カール・リヒター「マタイ受難曲」
マタイ受難曲は最初に聴いたのがアーノンクールが2000年に録音したバージョンが入り口だった。
リヒター版が頂点であると知って聴いてみた。
前述のようにアーノンクール版が入り口だったので、リヒター版はスローテンポに感じた。ただし、退屈、というのとは違う。
アーノンクール版はどこかエンターテイメント性が感じられたのだが、リヒター版はそれがなく、純粋な宗教心で構成されていると感じた。
もちろんこれは個人の感想であり、同意する人がいるかどうかはわからない。あくまでもぼく個人の感想。
教会に座って演奏を聴いている。そんな錯覚に陥る。
「マタイ受難曲」という大作を知ったのはほんの4、5年前。ぼくがいかにクラシックを知らないのかがわかるだろう。
こういう財宝を見つける喜びがまだぼくにはたくさん残されている。
そう信じて、宝探しを続けていこう。
- アーティスト:リヒター(カール),ミュンヘン・バッハ管弦楽団,ミュンヘン・バッハ合唱団,ミュンヘン少年合唱団,ヘフリガー(エルンスト),エンゲン(キート),ファーベルク(アントニー),プレープストル(マックス),ゼーフリート(イルムガルト)
- 発売日: 1999/06/23
- メディア: CD
ハイレゾ。
ケンドリック・ラマーのハイレゾ音源を購入して聴いていた。
なかなかいい音である。
そこでやめておけばよかったのだが、ぼくは禁断の扉を開いてしまった。
アマゾンのプライム・ミュージックにも同じアルバムが入っている。
どのくらい音がよくなったのか、聴き比べてやろうじゃないの!
そんないたずら心をおこして、やってみた。
何曲か聴き比べてみて、「やっぱりハイレゾのほうが音がクリアになるな」などと考えながら、さらに聴き込む。
そして、気がついた。
「今、無理やり音の違いに気づこうとしているよな」
そう。
ぼくは聴き比べていていても、違いがまったくわからなかったのである。
だけど、高い金を出して買ってしまったから、「やっぱりハイレゾは違うな」と思いたくて、無理やり違いを探し出そうとしていた。違いなんかないのに。
ぼくはWALKMANで音楽を聴いていて、ハイレゾ用のイヤホンを使っている。こう言ってはなんだが、結構高価だ。そして、イヤホンというのは基本的に価格に比例して性能が上がる。
つまり、高いイヤホンを使っていれば、いい音に聴こえるようにできているのだ。ハイレゾ音源でも、普通の音源でも同じ。
いろいろなアーティストの曲を聴いていると、昔のアルバムでも臨場感があるものもあるし、ハイレゾ音源でもさほど感動のないものもある。
ハイレゾ音源かどうかは関係ないのだ。むしろ、音源を作るときにどれほど丁寧に作業したかにかかっている。
そんなわけで、ハイレゾ音源を買うのは無駄なのでやめましょう。いい音を追い求める人がイヤホンにお金をかけるのは賛成です。
ワグナー
ワグナーというよりは、「ニーベルングの指輪」だ。
石岡瑛子の展覧会にいって、彼女がオペラの衣装デザインをしていたことをしった。
興味深かったのは、彼女はコッポラの映画「ドラキュラ」のコスチュームでアカデミー賞を受賞している。そして、「ニーベルングの指輪」。コッポラといえば、「地獄の黙示録」で高らかに鳴り響いていた「ワルキューレの騎行」を思い出す。
石岡瑛子の人生においてワグナーはなぜか重要な要素になっていたようだ。
たまたまかもしれないが。ぼくはそこまで石岡瑛子のことを知らないので、いろいろな解釈をしたりはしない。
ただ、そういう偶然があるのは面白い。
子どものころ、「地獄の黙示録」を観て、映画の内容は理解できなかったけれど、「ワルキューレの騎行」のかっこよさは心に刻み込まれた。
そんな思い出の一曲だ。
グレゴリー・ポーター
最近グレゴリー・ポーターを知った。
「超有名人じゃないか!」と言われるのかもしれないが、ぼくは初心者なので、右も左もわからない。新しいものを発見していく驚きや喜びを伝えていきたいので、そういう気持ちで読んでもらいたい。
初心者というのは、通とは考え方が違うのではないかと思う。
そういう点で、「なるほど、そういう視点があったか」という発見もあるかもしれない。もちろん取るに足らないことのほうが多いのだろうが。
さて、グレゴリー・ポーターだが、聴いていて気付いたのは英語がわかりやすい。ぼくは英語も勉強中の身で、全然わからないのだが、グレゴリー・ポーターの発音はわかりやすくていい。知らない言葉もあるが、今までは海外の音楽というと、なにを言っているかわからないで聴いていたが、彼の場合は歌として聴くことができる。これはうれしい。つまり英語圏の人と同じようにグレゴリー・ポーターの曲を聴くことができるわけだ。もちろんわからない言葉のほうが多いので、完全に理解できるわけではない。しかし、英語圏の人はこういうふうに曲を聴いているのか、と感じることができるのは嬉しいものだ。
ケンドリック・ラマー
ケンドリック・ラマーはヒップ・ホップの世界ではかなりの人気のようだ。
ニュースサイトでもよく名前が出ている。
完璧主義者として知られているらしく、ラップの途中の息継ぎが気に入らないといってレコーディングをやりなおしたりするらしい。
彼のよさは曲のバリエーションの多さだ。
あいかわらず英語がわからないので何を歌っているのかわからないが、聴いていて、とてもアイデアが豊富なのがわかる。
ヒップ・ホップは編集のメディアだと思う。
過去の作品だけでなく、さまざまな音源をひっぱってきたり、さまざまなアーティストとコラボレーションしたりする。
ケンドリック・ラマーの場合は曲調の変化などを畏れないという意味で編集能力が高いと思う。
ラフマニノフ
ラフマニノフについては多くの人と同じくピアノ協奏曲第2番を知っている、という程度だ。
うつ病から復活して書いたこの曲。ウイキなどをみると、治療にあたった医師に捧げられたという。
そんな背景を予備知識として聴くと、母なる大地、ロシアへの愛情と喜びに満ちた曲に聞こえる。
つまりは、うつ病の、世界が灰色に見えていた時期を経て、冬から春になるかのように世界が色づき、息を吹き返したのだ。そんな喜びをそのまま曲にしたように感じる。
人はぼんやりと生きて、ぼんやりとなにかを作り出すということはない。なにかの理由があるし、作られたものはなにかの目的で世に出されるのだ。
ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は、病から復活したラフマニノフが、生きる歓びを伝えようとして作った曲だと思う。