パブリック・エナミー
パブリック・エナミーというグループについて、名前は昔から知っていた。
社会的なメッセージを発しているヒップホップグループ。その程度だ。
最近ヒップ・ホップを聴くようになって、いろいろなアーティストを漁っているうちに、当然のようにパブリック・エナミーも入ってきた。
英語の歌詞がわからないので、彼らがどんなメッセージを発しているのかはよくわからない。
ただし、曲としてのかっこよさはしっかり伝わってきた。
少し古い感じもするが、硬質なエネルギーを感じる。
レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンにも通ずるものがある。
お気に入りのグループを掘り下げていくと、ヒップ・ホップをより深く知ることができるだろう。パブリック・エナミーはそんなきっかけのひとつになりそうだ。
ロバート・グラスパー
アメリカ ヒューストン出身のジャズ・ピアニスト。
ジャズは素人だ。ビル・エヴァンスは好きだ。最近のトレンドも知らない。
ジャズに馴染みたいと思って、最近聴くようになった。
いろいろなアーティストがいる。
ロバート・グラスパーはそんな中のひとり。
ヒップ・ホップの要素を感じるのが、入り込みやすい一因だ。
ジャズもヒップ・ホップも黒人の音楽だ。ジャズは内省的、ヒップ・ホップは感情を発散するイメージがある。じっくり浸るか、一緒に踊るか。これは個人的な感想なので、実際はどうかわからない。
グラスパーのブラックレディオが素晴らしい。ジャズでありながら、ヒップ・ホップの要素も感じる。
ジャズは進化を続けるのだ。
ヒップ・ホップとの境界が曖昧になっていく。その化学変化を楽しみたい。
マックス・リヒター
音楽家ではあるが、ぼくにとってはモダン・アートの作家に近い位置づけだ。
「近い」というのは、彼の活動が音楽に限られている(絵画や造形を発表していない)ため、モダン・アートの作家と呼ぶのをためらわれるというだけの理由であり、感覚的には「モダン・アートの作家」だ。
そう呼ぶ大きな理由は、ヴィヴァルディの四季を再構築した業績だ。これはモダン・アートの要素である過去を再編集しての新しい提案をしている。話が少しそれるが、この要素はヒップ・ホップでも見られる要素であり、そのためぼくはヒップ・ホップとモダン・アートにも強いつながりがあると考えている。
マックス・リヒターの再構築した四季は、メリハリが強くなり、ドラマチックになった。そして、猛々しく美しい。
よく、カバー曲などを示して「別の曲になっている」「彼自身の曲になっている」という表現があるが、そういうものではない。これは「ヴィヴァルディの四季は本当はこういう曲だったんじゃないか」と思わしめる、まさに再構築なのだ。
たとえていうならば、延々と建設を続けていくサグラダ・ファミリアのようだ。ヴィヴァルディが建てはじめた「四季」という宮殿をリヒターが引き継いだ。そして、100年後に他の誰かがまた「四季」を増築する。クラシック音楽がこうして形を変えていくのは、すばらしいことだ。
Madvillain
マッドヴィリアンと読む。
ヒップ・ホップにはある種の暴力性がある。
アメリカ生まれの音楽だからだと思う。アメリカのアートは暴力の中から生まれてきた。ハリウッド映画や、ヘヴィ・メタルなどを聴いていて感じる。ハリウッド映画は暴力によって問題が解決されて、ハッピーエンドになることが多いし、ヘヴィ・メタルなどはいかに暴力的な音を出すかというところに焦点がある。
ヒップ・ホップもそうだ。もともと黒人が自分たちのフラストレーションを爆発させて、アートに昇華したのがヒップ・ホップだとすれば、当然のように暴力的な要素がある。
しかし、このMadvillainにはそれがない。非常に洗練されている。
洗練の度合いでいうと、チェインスモーカーズや、Gnarls Barkleyの感覚に似ている。
淡々としている。
こういうものが出てくる時代になったのだなと思うし、音楽の可能性を感じて、嬉しくなる。
カニエ・ウェスト
最近すごいなと思ったのは、カニエ・ウェストだ。
「大統領に、おれはなる!」と宣言して、新作のプロモーションなんじゃないかと言われてしまっている。それはどうでもいい。
ヒップホップ初心者としてはいろいろ聴いて勉強中なので時系列がバラバラだし、知識もあやふやな状態である。
そんな中でカニエ・ウェストが2010年に発表した「My Beautiful Dark Twisted Fantasy」はすばらしかった。特に1曲目の「ダーク・ファンタジー」がいい。
美しいメロディラインに、投げやりにも聞こえるカニエのラップが乗っかる。もちろん、投げやりなわけがなくて、リズムなどはきちんとあっていている。あえてハズしているような雰囲気にしている。
これはモダン・アートに見られるアプローチに似ている。
バランスを崩しているように見せて、実はきちんとバランスをとっている。河原で適当に石を集めて絶妙のバランスで積み上げていく。その感覚だ。
「ダーク・ファンタジー」からはそのバランスを感じる。
思うにヒップホップは、歌の巧さというのはスタート地点というか、それほど重要ではなくて、むしろ、企画力が評価されるのだろう。どんな曲をどんな風にサンプリングするか、曲のアレンジはどうする、どんな歌詞をのっけるか。
ヒップホップはサブ・カルチャーとモダン・アートにまたがる存在だと思う。
カニエ・ウェストはそういう部分を巧みに乗りこなして、成功しているのだ。とても賢い人なんだろう。これからも注目していく存在だ。
Geto Boys
最近ヒップホップを聴いている。
まだ歴史もトレンドもよくわかっていないが、Amazonミュージックで大量に聴いている。聴き続けることによってヒップホップの空気感が体に馴染んでくる。
どうして聴いているのかといえば、理由はふたつある。
1つは、サブ・カルチャーを理解するため。
いわゆるサブカルにおいてヒップホップは重要な要素だとぼくは考えている。だから、理解する。
2つめは、モダンアートを理解するため。
モダンアートはバランスをいかに崩すか、崩しつつもいかにバランスを保つか、という傾向にある。その、今まで積み重ねられてきたものに敬意を示しつつも、一旦破壊して、そこから新しいものを作る。一種の編集的な要素がヒップホップ的だと思う。バンクシーなどはストリートアートそのものだし。
こんなわけでヒップホップを聴いているわけだ。もちろん、ヒップホップというジャンルの楽しさが第一にあるから、より理解しようと思うわけだけど。
そこで今はゲットーボーイズが楽しいと思っている。