親しい友だちのように呼びたいカラヤン
ヘルベルト・フォン・カラヤン。帝王然としたたたずまい、その無敵感。しかし、ぼくは彼をあえてこう呼びたい。「カラやん」と。
同じ名前なのにひらがなに変えただけで親しみが沸かないだろうか。あたかも高校の同級生のように。
カラやんて、いいやん。呼びやすいやん。
ぼくはそう思っている。
それはともかく、ぼくはカラやんが好きだ。
カラやんの演奏は他の指揮者よりも偉そうな感じがする。ダイナミック、大げさ、軍隊っぽい、そんな感じだ。演奏のことなんか全然知らないぼくの個人的な感想だ。
ここでぼくが言いたいのは、カラやんがどんなにすごいやつかってことではない。正直、ぼくはカラやんのことはよく知らないのだ。友だちじゃないし。ただ、ぼくはカラやんの演奏がかっこいいと思って、クラシックを聴くようになった。ちょっと興味のある曲をカラやんの指揮で聴く。かっこいい。他の曲も聴いてみよう。かっこいい。その繰り返し。こうして、ぼくはクラシックを聴くようになった。
そうそう、最近見つけたカラやんがチェンバロを弾きながら指揮をする動画を貼っておこう。ヴィヴァルディの四季の「夏」。実はカラやんのチェンバロは音が出ないようになってるっていう噂もある。それでも、いいじゃないの。カラやんがかっこいいんだし、これを観てクラシックを好きになる人がひとりでもいればいい。